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これは、父との最後のお別れのときに私の姪が読んでくれたもの・・・
宝物のように大切にとっていました。
ここに、残して時々読んで思い出したいと思います。
(関心のない方は、どうぞスルーしてくださいね・・m(__)m)
おじいちゃん、この三十四年間でこの世に生まれた私たち、孫、ひ孫の成長をしっかりと支えて見守ってくれて有難う。
体も声も行動も何もかも大きかったおじいちゃんは、私たちにとっては見上げるほどの山のような存在でした。
小さい頃はまだピンとこなかった数々の荒修行ですが、帰りには必ず季節の果物や山菜、夏には何十匹ものカブトムシを捕ってきてくれて、私たち子供の目を輝かせてくれました。
楽器の演奏も自由自在で、習字も上手だし絵も上手だし、料理もおいしくて、とにかく何でもプロ級のおじいちゃんでした。
いつもは無口で少し近寄りがたくて、普通のおじいちゃんのように、甘えたりおしゃべりしたりする事はなかったかもしれませんが、クリスマスには三段ケーキが突然届いたり、お正月には小さかった私たちを、ゾロゾロと引き連れておもちゃやさんに連れて行ってくれたり、皆を集めてトランプや将棋で遊んでくれたり、いつも何人もの子供を相手に場を盛り上げてくれました。
丸山公園の春祭りでも、皆おじいちゃんについて夜店をまわり、百発百中の射撃の腕前に子供ながら自分達のおじいちゃんをとても誇らしく思ったことです。
周りの人がびっくりする様な大きな犬を飼っていたり、小屋をたててアヒルやウサギを沢山お世話していたり、おそらく普通では体験させてもらえない事が沢山あった気がします。
そして何よりも私達が印象に残っている事は、お参りの途中、障子越しの長い廊下を七、八人がものすごい勢いで走り回る時、とても大きな声で喝を入れられ、お数珠を投げつけられていたことです。
しかし叱られるのはそのときの喝だけで、跡からお説教を受けた事はありませんでした。
今、思えば頭の痛い孫たちだったよね。
お参りが終わると遅くまで仏像を彫っている後姿があり、お堂はいつも、その木の香りでいっぱいでした。 初めて目にする金箔や、どんどん形になっていく仏像にワクワクしたり、子供ながらに興味深々で使わない木切れをもらって彫刻刀で彫ってみた事もありました。
そんなおじいちゃんを見ながら私たちはここでよく遊びよく喧嘩しながら育っていきました。
この環境が生まれてからずっと当たり前で、本当に自然に皆がこうして集まる場をあたえてくれたのも、おじいちゃんだと思います。
そして、気づけば私たちの中に手を合わせる気持ち(心)がいつの間にか身についてきました。
「この世で生かされているということに感謝できる」というのは、おじいちゃんからもらった何よりの宝物です。
私達も孫の半分は結婚して、命のバトンが次へと引き継がれました。
おじいちゃんからもらった大切な宝物を、命のバトンと一緒にしっかり渡して行きたいと思います。
現在、孫十人、曾孫八人、来年には曾孫も十人になります。
毎年丸山公園の満開の桜を観ておじいちゃんを想いだします。
お別れの言葉ではなく、おじいちゃんと私達の新たな旅立ちの言葉とさせていただきます。
本当にありがとう。
<ブログ総集編より>
後藤寺不動院のHPもご覧下さいね!http://www.gotoujifudouin.or.jp/
ボランティア活動キボウのカケラ http://www.kddi.com/corporate/torikumi/kibou/
ある女性の生涯 http://blogs.yahoo.co.jp/s_gotouji/folder/1239754.html
いつも明るさをもっとうに生きている照聖ですが、今年のこの10月の月はちょっとつらい。。。
今日は少し、父の思い出を書かせて下さい。書き残しておきたい。。。
3年前の10月31日に父は人間世界の修行を終えて旅立った。。。
その後は、悲しむ時間もなく私は跡継ぎとしての役目を果たすのに、一生懸命だった。
去年の3回忌までは、慌しくて・・考える暇もなかった。
それが、なぜか今年は10月に入ってから、日を追うごとに思い出してしまう。。。
三年も経っているのに・・・
10月の初めに入院。。。
それから21日間の日々。。。
別れの悲しみを押し殺して、私は毎日を送らねばならず・・
おまいりの時は、笑い・・病院に行くと悲しみで胸がいっぱい。。。
大きな岩のような存在だった父が段々と体が衰えていきながらも、生涯をお不動様にお仕えしたその姿がなかったら・・立ち直れなかったかも知れないほど二人三脚のように父を支えてきた私。
お不動様は、私達に父との別れの時間を作って下さった。
詳しいことは、この次書き残しておきたい。。。
ちょうど今頃は、3日おきくらいに危篤状態が続いていて、夜中に慌てて病院に行ったりが多かった事を思い出す。毎晩、電話が鳴るのが恐かった。
毎日、病院の帰りに車を運転しながら、(明日はもう、生きて会えないかもしれない・・)そう思い、涙をボロボロ流しながら、家に帰っていた。
私はいつも、母や家族を励まさねばならぬ立場だったので、悲しみに取り乱すことはできなくて・・
だから、私が泣くのは、いつも一人で車を運転して帰る道のりの間だけ。。。
思いっきり泣きながら帰ってましたね。。。
今では、全部が思い出ばなしで・・・
破天荒な父だったから、いつも最初は良い話をするのですが、最後はけなされてます・・笑
一番辛かったのは28日の護摩焚き。。。
神仏にお仕えしている私には、たとえ父であっても私情は関係ない。。
だから、父や母には、(この世を去る日をよ~く選んでよ~・・)と常に言っていた。
28日には、もうだめかもしれない・・という状態だったのだが、私たちは動けない(ーー;)
信者さんたちが来られるから・・
(お父さん、お願い!今晩まで頑張ってね。。。せめて最後は看取りたい。。。)
そう願いながら、涙をボロボロこぼしながら一生懸命護摩修法をしました。
でも、終わって信者さんに顔を見せるときは、涙をみせられません。。。
やはりいつもと同じように笑顔をお見せせねば・・でしたから・・
私にとってはとても辛い一日であり、とてもつらい修行でした。。。
夜席が終わって、急いで病院へ行き・・・
(お父さん、よく頑張ってくれたね!無事おまいりが終わったから・・もう頑張らなくていいよ。。。)
そう父に告げた。。。
私達は、お別れの時間を頂いたので、覚悟を決めていたから・・
父にはほんとに(お疲れさま。。。)という言葉しかなかった。
その3日後、父は静かに生涯を終えた。。。
そして今は、次の世界で修行をして、お堂にいる。。。信仰とは有難いことです。
みんなが今でも、父を頼りにおまいりに来られる。。。
お堂は、おまいりは毎月28日まで・・
今月の28日には、信者さんたちが「先生の命日のご供養をさせてください」と・・ありがたいことです。。。
私も父のような存在にになれるかな~・・・と、自分をふりかえる。。。
少し、しんみりしたお話でしたが・・・書かせて頂きましたm(__)m
<ブログ総集編より>
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私のブログは、あれこれ話が飛びますが・・笑
思い出した時に書くっていう主義なので・・(>_<)
ある方のブログで髪の毛の話になり、剃髪の事を語り合いましたが、話せば長くなる笑い話もあり、ここで書こうかな~と。
この写真は、まだ若々しい頃ですね~♪スッピンでくりくり坊主で・・笑
お盆のときですわ~・・なつかしいのが出てきました@@@
今と比べると・・笑・・そうとう貫禄がでていますね。どこにって・・体に・・特にお腹に集中@@@
それはちょっと横に置いて・・笑
初めての剃髪は、千葉県の成田山新勝寺に入寺したときです。
勧学院に入るため、一人飛行機に乗り、成田へ。。。
福岡の空港で皆に見送られて、心細さと寂しさに泣きながら飛行機に乗ったけど、
本音は「帰りたい・・」と名古屋あたりまでず~っと泣いてましたっけ。。。
旅館に入って荷物を置いて、お寺へご挨拶にだけ行っておこうと、監督さんに会いました。
「よく来たね。じゃあ、着いておいで」といわれるままにお寺の地下2階へ・・
(へ~地下まであるんだぁ~)とか、田舎もんですから、キョロキョロしてると・・
「入って」と監督さん。。
なんとそこは<床屋さん>でした~!(へ~お寺の中に床屋さんまであるんだ~!)と感心してたら
「座って」
私・・(はい~?)
なんと私は、その場であっという間に剃髪にされたのです~@@@@
覚悟はしていましたよ。しかし、今とは・・自分の髪に別れを惜しむひまもなく・・(ToT)/~~~
額の部分から、ジャ~っとバリカンを入れられ・・涙の出る間もなく(あ~あ・・)で、私の剃髪式はおわったわけです(T_T)
しかも、私はその時、ワンピースを着ていたんですよ~!
(監督さん、わ、私、どうやって旅館まで帰ったらいいんでしょうか・・
この格好じゃ、みんながびっくりすると思うんですが・・荷物は明日しか届かないんですよ~T_T)
だって、アオアオしたくりくり頭に、ワンピースですよ~@@@@いくらなんでもねぇ・・
まだ、その頃は乙女だったんですもの・・笑
「あ、そうだね、じゃあ、ちょっと待ってて」と監督さん、何かを取りに行ってくれた。
(カツラ用意してるのかな・・?)と期待して待っていると、
監督さんが「これを使って」・・・なんと監督さんが手にしてたのは・・・
紫の風呂敷き~@@@@@・・・あんまりだぁ~~~@@@@
でも、旅館にどうかして、帰らねば・・・(T_T)
泣く泣く、紫の風呂敷きをターバンのように巻いて、そそくさと急いで旅館に帰りましたよ~(T_T)
旅館の玄関でおかみさんが驚いてましたっけ・・
(こんな格好にされちゃいました~@@@)って、笑い飛ばしましたが、
これが私の剃髪の思い出~(^o^)/
今でも、その話は笑い話で、語り継がれています(*^_^*)
でも、ほんとに涙したのは、その後で。。。
卒業して家に帰って、やっと少し髪が伸びてきたころに、お不動様からひとこと。。。
<向こう3年間は、剃髪以外はまかり通らぬ!>
(え~!約束が違う~!地元で坊主あたま~!いやだ~!)・・・そういっても許してくださるはずもなく、私は、もう一度、剃髪をすることになったのです(T_T)
その時は、まだ未熟な私は、父に向かって(じゃあ、お父さん、切ってよ!お母さん、切ってよ!)と、文句も言って困らせたような思い出が・・^^;
私は、安易に向こうのお寺だけだから・・とか、こっちじゃないんだから・・とか思ってたんですよね~。。。
結局、自分でお不動様の前で、髪を切り、その髪をお不動様に<うらめしげ~>に捧げ・・笑
信者さんの床屋さんで、バリカンでくりくり坊主にしてもらいましたが、
この時、初めて涙がボロボロこぼれてましたっけ。。。
その涙につられてか、バリカンをもつ信者さんも泣きなから私の頭をくりくりにしていました。
しかし、泣いたのはその一度だけ(*^_^*)
その後、5年間くりくり坊主で街の中を歩き回り、あだ名は<一休さん>(*^_^*)
そして、一生くりくり坊主でいいな♪と思った時に、お不動様から有髪のお許しが出たのです。
そうです。お不動様は、私に学ばせる事があったからなんですよね~。。。
髪があろうが、なかろうが、動じない心づくり。。。(*^_^*)
だから今でも、いつでも剃髪OK!
でも、たまに剃髪にしようかな~っていうと、信者さん(特に男性信者さん・・笑)が、
「やめてくださ~い!」っていうんですよ(>_<)
だから、(じゃぁ、もう少しあとにしましょうか。。。)って。
髪を結ぶのが嫌いなんですよね~@@@@めんどくさいし・・(>_<)
まぁ・・信者さんのご要望に応じて、今の髪型にしています。。。フフフ
<先達からのお知らせブログより>
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母と食事をしている時、私だけお粥。。
調子の悪い時は冷えたご飯でないと食べられない。熱いもの全部ダメなんですよ~。口の中の粘膜がよわってしまって・・
(あの時を思い出すね~)と母。(どれ?)と私。。。
数年前にあった悲しい出来事。。。
次々に起こる大惨事・・忘れているかもしれませんが、(兵庫県の列車事故)・・多くの犠牲者がでました。
そのとき私は、お堂の28日のおまつりのときに
信者さんと(ここからご冥福をお祈りしましょうね・・)とお伝えしました。
みなさんもうなずいていました。
そして、その夜から私の体に異変が。。。
寒気と骨のきしみ、口の中はなにもしていないのに、ぼっこり脹れて、どうもおかしい・・
2日間辛抱をしましたが、やれたまらず、お不動様の前に座り
(お不動様、この痛みはどういうことで痛んでいるのでしょうか? 病気ではないですよね。。)
しかし、今、そんなにひどい霊さまはいないはず。。。おかしい。。。
(一生懸命お不動様にお仕えしてきたつもりでしたが、何か至らない事があったのでしょうか?)と
苦痛に耐えながらお不動様とお話をしました。
「照聖、その方が他のものにそう思ったならば、まだすることがあるはず。。」と
心の中にご神事かあり。。。。はっと気が付いたのです。
(兵庫の方達なんですね。。私一人ではとうてい無理だと思いましたけど、そうなんですね、
わかりました。私で役立つ事なら、精一杯の供養をさせて頂きます・・)
ほんのわずかな事しか通じないかもしれませんが、
自分のお行として供養をひと月(28日)までさせて頂きますと約束をしました。
そして訪れる信者さんにもわけを話して、みんなで供養させて頂こう・・と
それから1日から始めましたが、この供養が一番、心に残っています。
あまりにも壮絶だったからです。
骨という骨は全部キシミ、心臓は苦しく、口の中はどこも脹れてしまって、物が食べれない。熱いものの冷たいものの飲めない。。
それでも働かねばならない私は、母の作ってくれた出来立ておかゆに水をいれて、お茶漬けのりをいれ、口が思うように開かないので、うす~いおかゆをすすりこむように食べて仕事をしました。
(食べれる?)(食べねば働けない、流し込みやね^^;)そんな言葉を母と毎日言い続けていました。
歯を磨けばびっくりするほどの血がドバーっとでて、歯磨きさえうめきながらでしたので、さすがにこのときは(やばい!)って思いましたっけ。
歯医者に行ってみたら?病院に行ってみたら?って身内はいうんですが、時間もなく、また、歯医者さんに見せても、びっくりするだけで何もできないだろう・・と思いました。。。
信者さんの前では笑顔をたやさず、いつものようにしていましたが、部屋に戻ると・・もうダウン!
そんな日々つづけていました。修行とあらば、弱音ははけません。。
ほとんど気力で過ごしていました。(こんな時に、四国遍路日記が役にたちました。)
とうとう27日の日に母が(ここまでしても体調が変わらないんなら、病院へ行ったほうが良くない?)
私(多分、28日までの供養がおわったら・・体調がかわると思うから、もう少し待ってみる)
そして、28日がきました。
私は痛みをこらえながら夜までの護摩法を笑顔でしました。
(よくならんねぇ~)と悲しそうな母・・・。
しかし、午前0時になった時、全身の痛みが一つずつ消えていきました。
私は、痛みがなくなったことよりも、私の供養の修行が満行できたんだ~。。
供養が届いたんだ~!っと、その思いのほうがうれしかったです(*^_^*)
特に兵庫県の列車事故の方とはなんの接点もありませんでしたが、きっと、前世でお返ししなければならない事をしていたんでしょうね。。
初盆供養もさせて頂きました。
とある宗教家にちょっとはなしましたが。。
(あなた!そんなことをしてたら体がもたないわよ!!)と言われてしまいました。。
私は、日本中の宗教家がみんな、それぞれで供養しているものと思っていました。。
(私だけなの~?)とちょっとショックでしたけど、
どこかに私のようになさった方が必ずいらっしゃると信じています。。。
毎日、お粥で働いてで栄養バランスもくずれてしまい、本当に倒れるかもしれません。
でもまだ、倒れていませんですよ~(^o^)/
倒れそうで~倒れない照聖。。。笑
今でも熱いもの・つめたいもの・だめです。。どうやら口の中の粘膜が薄くなってしまったようで・・
頚椎も結局はコラーゲンが少なくなってしまい、痛みが続くのです。
おぉ・・これは暗い話ではありませんよ^^
確かに、私の体は刻々とボロボロになっていってますが・・
心の中は、そのたびに浄化されて。。。
また、人様のために頑張れるんですよね~(*^_^*)
テレビでは沢山の出来事があっているのに、どうして(兵庫県の列車事故のときだけ?)・・と、思いましたが、きっと前世でお世話になっている方が多かったのでしょうね・・と思います。
照聖は生涯、倒れるまで、どんな形にしろ、お不動様にお仕えします(*^_^*)
それが、私をここまで育てて下さったお不動様への感謝です。。。。
<総集編ブログより>
後藤寺不動院のHPもご覧下さいね!http://www.gotoujifudouin.or.jp/
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