[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
これは、父との最後のお別れのときに私の姪が読んでくれたもの・・・
宝物のように大切にとっていました。
ここに、残して時々読んで思い出したいと思います。
(関心のない方は、どうぞスルーしてくださいね・・m(__)m)
おじいちゃん、この三十四年間でこの世に生まれた私たち、孫、ひ孫の成長をしっかりと支えて見守ってくれて有難う。
体も声も行動も何もかも大きかったおじいちゃんは、私たちにとっては見上げるほどの山のような存在でした。
小さい頃はまだピンとこなかった数々の荒修行ですが、帰りには必ず季節の果物や山菜、夏には何十匹ものカブトムシを捕ってきてくれて、私たち子供の目を輝かせてくれました。
楽器の演奏も自由自在で、習字も上手だし絵も上手だし、料理もおいしくて、とにかく何でもプロ級のおじいちゃんでした。
いつもは無口で少し近寄りがたくて、普通のおじいちゃんのように、甘えたりおしゃべりしたりする事はなかったかもしれませんが、クリスマスには三段ケーキが突然届いたり、お正月には小さかった私たちを、ゾロゾロと引き連れておもちゃやさんに連れて行ってくれたり、皆を集めてトランプや将棋で遊んでくれたり、いつも何人もの子供を相手に場を盛り上げてくれました。
丸山公園の春祭りでも、皆おじいちゃんについて夜店をまわり、百発百中の射撃の腕前に子供ながら自分達のおじいちゃんをとても誇らしく思ったことです。
周りの人がびっくりする様な大きな犬を飼っていたり、小屋をたててアヒルやウサギを沢山お世話していたり、おそらく普通では体験させてもらえない事が沢山あった気がします。
そして何よりも私達が印象に残っている事は、お参りの途中、障子越しの長い廊下を七、八人がものすごい勢いで走り回る時、とても大きな声で喝を入れられ、お数珠を投げつけられていたことです。
しかし叱られるのはそのときの喝だけで、跡からお説教を受けた事はありませんでした。
今、思えば頭の痛い孫たちだったよね。
お参りが終わると遅くまで仏像を彫っている後姿があり、お堂はいつも、その木の香りでいっぱいでした。 初めて目にする金箔や、どんどん形になっていく仏像にワクワクしたり、子供ながらに興味深々で使わない木切れをもらって彫刻刀で彫ってみた事もありました。
そんなおじいちゃんを見ながら私たちはここでよく遊びよく喧嘩しながら育っていきました。
この環境が生まれてからずっと当たり前で、本当に自然に皆がこうして集まる場をあたえてくれたのも、おじいちゃんだと思います。
そして、気づけば私たちの中に手を合わせる気持ち(心)がいつの間にか身についてきました。
「この世で生かされているということに感謝できる」というのは、おじいちゃんからもらった何よりの宝物です。
私達も孫の半分は結婚して、命のバトンが次へと引き継がれました。
おじいちゃんからもらった大切な宝物を、命のバトンと一緒にしっかり渡して行きたいと思います。
現在、孫十人、曾孫八人、来年には曾孫も十人になります。
毎年丸山公園の満開の桜を観ておじいちゃんを想いだします。
お別れの言葉ではなく、おじいちゃんと私達の新たな旅立ちの言葉とさせていただきます。
本当にありがとう。
<ブログ総集編より>
後藤寺不動院のHPもご覧下さいね!http://www.gotoujifudouin.or.jp/
ボランティア活動キボウのカケラ http://www.kddi.com/corporate/torikumi/kibou/
ある女性の生涯 http://blogs.yahoo.co.jp/s_gotouji/folder/1239754.html
03 | 2025/04 | 05 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | ||
6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 |
13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 |
20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 |
27 | 28 | 29 | 30 |